教師や親が競争を煽ると、子どもたちの頭の中に、自分だけ勉強ができればいい、相手を蹴落とせばいいという考え方が成立してしまいます。
そうすると、自分だけ陰に隠れてこっそり勉強したり、試験に出そうな箇所がわかっても人には教えないような心の歪んだ人間ができます。
もちろん、この場合は相手が知っている情報も教えてもらえないから、子ども同士の関係はとてもギスギスしたものになります。
そうではなく、子ども同士が協力し合う関係を作っていく方が、教育上のメリットは圧倒的に大きいのです。
英語が得意な子は他の子に英語を教え、代わりに理科や数学の秀才から、わからないことを教えてもらう。
ある子どもは歴史の面白さをみんなに話し、別の子は日本語の奥深さを周囲に伝える。
実際、ぼくは中学生の頃、仲のいい仲間たち四人で放課後、机を並べて一緒に勉強していました。
四人すべての成績が上がりました。
足りないものを補い合う
自分の得意な分野を自分だけのものにしておいても、その子の成績は伸びないし、逆にグループや組織が協力し合えば、全体の成果が上がるはずです。
実社会では当たり前のことが、教育現場では通用しないのだとしたら、奇妙と言うしかありません。
小学校の運動会をめぐって、「順位をつけるのはかわいそうだ」とか「いずれ競争社会に突入していく子どもたちに
小さいうちから競争させるのはよくない」といった大人たちの話を耳にします。
これは前提がおかしい。現実の社会が競争ではなく、協力関係で成り立っているという前提を理解していれば
若いうちにスポーツやゲームで勝敗を競うのも悪くないということが自ずとわかるはずです。
みんなが協力していくのが社会の掟なのだから、子どものときぐらい勝ち負けの体験をさせた方がいい。
勝ってうれしい思いに浸れることもあれば、負けて悔しさや苦しみを感じることもある。
当然、仲間と協力して何かを成し遂げる喜びや充足感も生まれてくる。
もちろんオンライン家庭教師では、協力して何かを成し遂げるということはできません。
だからこそ学校での時間はそう言った人間的なことを身につける教育も必要です。
受験だけじゃなく、生き方を教える
大切なのは、子どもたちが喜びや悲しみ、苦しさや悔しさ、幸福感や充足感、不安や恐怖に至るまで、さまざまな感情をバランスよく体験することです。
そのことによって困難にぶつかったときに克服する力が強くなる。そして自分も伸びるし、他人も伸ばす。
この形にもっていった方が、結局は自分のためにもなる。これが協力社会のすばらしいところです。
世の中は決して競争社会ではなく、「協力社会」であるという前提を一人一人が信じなくてはいけません。
教育の現場に競争原理を持ち込むべきではありません。