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【家庭教師コラム】武士道の話の続き

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先日の武士道の話の続きです。オンライン家庭教師の先生が語る武士道の話はつまらない!という方は

ブラウザを閉じて勉強しましょう!

ちょっと勉強に疲れたな。。という人は、ちょっと立ち読みして行ってください。

武士道=母性?

武士道さえ理想や憧れにすぎなかったとすると、日本人自身も誤解した日本人像をもっていることになりそうです。

 ぼくは、日本は母性の強い社会、非常に女性的な社会だと見ています。一方、欧米は父性が強い、男性的な社会です。
 一般的なキャラクターとして女性は安全第一、安定を求める傾向があります。おおらかで、なんでも取り入れる許容性があり、「AかBか」と峻別しません。「AもBもOK」と受け入れます。優しく寛容で包容力がある。それがまさに母性です。
 男性は安定よりチャレンジを求める傾向があります。「AかBか」に厳格で、妥協を許しません。父親は、わが子が意に沿わなければ勘当します。父性は必ずその中に厳しさを秘めています。
 そもそも日本は、歴史的に見ても母性社会でした。天皇という存在について考えてみましょう。日本史上、天皇が民衆によって攻撃されたことはまずありません。これに対し、イギリスの市民革命やフランス革命をもち出すまでもなく、ヨーロッパの歴史上、民衆によって殺された王は数知れません。
 なぜ、天皇は攻撃されないのか。それは天皇が日本人にとって慈母のような存在だからです。男性天皇・女性天皇の話をしているのではなく、天皇制そのものが母性的なシステムなのです。

母性システム

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 後醍醐天皇のような例外を除けば、天皇制はその傾向として、皆を集め、何を望んでいるかを穏やかに聞き出し、できるだけ全員の意向に沿う方向に導くような統治の仕方が主流でした。太平洋戦争における御前会議においても、天皇は軍隊を仕切ったり、命令を下したりといったことはありませんでした。
 それは「あなたは何がしたいの?そう、じゃあ、そうしましょうか」という母親の感覚そのものです。母親は、子どもにとって克服する対象ではない。自分を守ってくれると同時に守っていかなくてはならない存在です。
 他方、ヨーロッパの王は、まさに父親です(もちろん女王を含めて)。王はとにく自分の意見を優先させます。それが民衆の意見と大きく食い違わなければ民衆も従いますが、もし王の独断が民衆の気持ちを逆なでした場合、民衆は王への攻撃を開始します。「俺の意見に従えないのなら勝手にしろ」と突き放す父親は、「わかった。勝手にするよ」と反旗を翻す息子と対になって存在します。
 このように考えると、第二次世界大戦の敗戦後、戦前の日本のシステムが連合軍の手で解体される中、象徴天皇が残されたのは、彼らが日本人のキャラクターを制だけが微妙に察知しての、一つの英断だったとも思われます。

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