塾講師のコラム

【家庭教師コラム】父性と母性がアンバランス。

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今日は先日の記事の続きを書きましょう。オンライン家庭教師とは全く関係ないですが、、興味のある方は読んでください。

非常に日本的な問題をはらんでいると思うので、オートバイを例に話しましょう。ぼくは高校に入って、オートバイの免許が取れる年齢になると、すぐに取りに行きました。五月生まれだから、高校三年の夏休み前には自動車の免許も取りました。

当時の母校には、免許を取ってはいけないという校則はなく、取得した者は学校に報告すればよかった。学校では定期的に交通安全指導をする日がありました。たぶん土曜日だったと記憶しています。近隣の学校から免許を取った生徒たちが集まり、そこへ警察の交通安全指導の人がやってきて、安全運転をするための講習をしてくれました。免許をもっているという報告だけでなく、学校側が指導体制を整えてくれたのです。これは当たり前のことだと思います。

オンライン家庭教師になった後も

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ずっと後、オンライン家庭教師の講師になってから、母校で講演会があり、校長先生と話す機会がありました。ぼくは、「今でも免許の取得は許可されていますか」と訊いてみました。結果は残念ながら、校則で禁止。バイクや車は乗っても買ってもいけない、ということになっていました。

母校に限った話ではなく、現在、日本のほとんどの高校では校則でオートバイが禁止されています。「三ナイ運動」というのも聞きました。「免許を取らない、買わない、乗らない」だといいます。法律では一六歳になれば、バイクの免許は取っていいことになっているにもかかわらず、校則で禁止されているわけです。

これは絶対におかしなことだと思います。そもそも運転免許は校則で禁止すべきことではありません。「オートバイ通学禁止」というならまだわかります。それは学校と関連のあることだからです。しかし、免許を取る、取らないは、学校ではなく純粋に家庭の問題です。禁止するなら、家庭における責任者の名において禁止すべきです。

この取り違えの中に、父性と母性のアンバランス、日本社会における著しい父性の欠落が見て取れます。本来は父親が自分の子どもの成長具合や気性をよく見て、「この子はまだまだ未熟だ。自転車の交通ルールものみ込めていないのだから、バイクはなお難しいだろう。安全運転ができそうもないから、免許はもうしばらく取らせないいか方がいい」と判、バイクを禁止すればいい。

逆に「お前か信頼できる。普段から注意深いし、ルールもきちんと守る。免許を取っても安心だ」となれば、親の責任において取らせればいい。そして、親が培ってきた交通マナーやライディングテクニックをしっかり叩き込んでやればいいのです。

ナイフの問題もそうです。扱い方、しまい方、場合によっては人に危害を加える凶器となることまで、ナイフの使い方を教えるのは父親の役割です。ところが日本のお父さんはこれまで家庭に背を向け続けてきました。何も子どもに伝達しようとしてこなかった。そうすると、ナイフやバイクは「危険なシロモノ」として母親の手に余ります。

お母さんの手に余るとどうなるか。取り上げるしかありません。けれども、お母さんには強制力がないから、学校にそれを押し付けています。家庭でやるべきことを父親が放棄し、母親の手には余り、結局すべてを取り上げざるをえなくなった。学校はそれを代弁しているにすぎません。

リスクは早めに体験する

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これらのことは、今の日本にあって象徴的です。いずれ子どもは交通社会の中で暮らすことになります。どんな形であれ、交通社会に組み込まれていくのです。となれば、早い時期に安全運転につながるマナーやテクニックを教えるのは大切なことです。一六歳で免許を取るのは危ないという人もいるけれど、本当に危険なのは年齢と関係なく、免許を取って最初の一年です。一八歳だろうが、二五歳だろうが、若葉マークの時期は危険が多い。

だったら、なるべく早く体験させ、身をもって危険性を理解させる方がいいのです。交通安全のイロハは、子どもが巣立つ前、親が監督しているうちに親の責任できちんと身につけさせるのが理想的だし、本来の姿でしょう。そして、その役割は大方の場合、父親が負うべきなのです。

もし、子どもがバイクの免許を取って事故を起こしたら、非常に辛い。しかし、事故の原因が未熟な運転技術にあるとしたら、その責任は家庭にあります。「免許を取ってもいい」と許可したにもかかわらず、安全なライディング・テクニックを教えなかった人間が責任を取るべきです。責任を取りたくないから、校則で禁止してしまえ、というのでは責任の所在が曖昧になります。これも父性と母性のアンバランスからくる弊害です。

夫が家のことはすべて妻に任せたと子育てを放棄していては、父性と母性のバランスはますますひどくなります。ただでさえ日本社会は、だれもが安全で長生きすることを最優先しようとする社会です。子どもはいつまでたっても、危険なにおいがするものから遠ざけられ、無菌状態に置かれます。

安全で狭い世界ばかりにいては、危険に対する想像力が育たないだけでなく、自立心も冒険心も培われず、確かな自我の形成ができにくくなります。その結果、世の中に未熟なまま放り出されてしまうことになるのです。

【家庭教師コラム】武士道の話の続き

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先日の武士道の話の続きです。オンライン家庭教師の先生が語る武士道の話はつまらない!という方は

ブラウザを閉じて勉強しましょう!

ちょっと勉強に疲れたな。。という人は、ちょっと立ち読みして行ってください。

武士道=母性?

武士道さえ理想や憧れにすぎなかったとすると、日本人自身も誤解した日本人像をもっていることになりそうです。

 ぼくは、日本は母性の強い社会、非常に女性的な社会だと見ています。一方、欧米は父性が強い、男性的な社会です。
 一般的なキャラクターとして女性は安全第一、安定を求める傾向があります。おおらかで、なんでも取り入れる許容性があり、「AかBか」と峻別しません。「AもBもOK」と受け入れます。優しく寛容で包容力がある。それがまさに母性です。
 男性は安定よりチャレンジを求める傾向があります。「AかBか」に厳格で、妥協を許しません。父親は、わが子が意に沿わなければ勘当します。父性は必ずその中に厳しさを秘めています。
 そもそも日本は、歴史的に見ても母性社会でした。天皇という存在について考えてみましょう。日本史上、天皇が民衆によって攻撃されたことはまずありません。これに対し、イギリスの市民革命やフランス革命をもち出すまでもなく、ヨーロッパの歴史上、民衆によって殺された王は数知れません。
 なぜ、天皇は攻撃されないのか。それは天皇が日本人にとって慈母のような存在だからです。男性天皇・女性天皇の話をしているのではなく、天皇制そのものが母性的なシステムなのです。

母性システム

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 後醍醐天皇のような例外を除けば、天皇制はその傾向として、皆を集め、何を望んでいるかを穏やかに聞き出し、できるだけ全員の意向に沿う方向に導くような統治の仕方が主流でした。太平洋戦争における御前会議においても、天皇は軍隊を仕切ったり、命令を下したりといったことはありませんでした。
 それは「あなたは何がしたいの?そう、じゃあ、そうしましょうか」という母親の感覚そのものです。母親は、子どもにとって克服する対象ではない。自分を守ってくれると同時に守っていかなくてはならない存在です。
 他方、ヨーロッパの王は、まさに父親です(もちろん女王を含めて)。王はとにく自分の意見を優先させます。それが民衆の意見と大きく食い違わなければ民衆も従いますが、もし王の独断が民衆の気持ちを逆なでした場合、民衆は王への攻撃を開始します。「俺の意見に従えないのなら勝手にしろ」と突き放す父親は、「わかった。勝手にするよ」と反旗を翻す息子と対になって存在します。
 このように考えると、第二次世界大戦の敗戦後、戦前の日本のシステムが連合軍の手で解体される中、象徴天皇が残されたのは、彼らが日本人のキャラクターを制だけが微妙に察知しての、一つの英断だったとも思われます。

【家庭教師コラム】日本人の道徳体系を海外に紹介するために『武士道』を書いた?

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新渡戸稲造は、日本人の道徳を海外に示すために『武士道』を書いたのではなかったでしょうか。

あ、カンの良い人は薄々感づいているかもしれませんが、、、今回もオンライン家庭教師の売り込みは一切しません!笑

単なる暇つぶしコラムとして読んでみてくださいね。

 新渡戸稲造が英文で著した『武士道』が出版されたのは一八九九年、日清戦争が終わって間もない頃でした。明治維新からわずか三〇年しかたっていないにかかわらず、この本の中で、新渡戸は武士道の将来に対する複雑な思いを吐露しています。
「武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない、しかしその力は地上より滅びないであろう。その武勇および文徳の教訓は体系として毀れるかも知れない。しかし、その光明その栄光は、これらの廃址を越えて長く活くるであろう」(岩波文庫版、矢内原忠雄訳)
「滅びない」「長く活くる」と新渡戸が言いたかった気持ちはわかりますが、「消ゆる」「毀れる」と武士道の将来を危惧するような言葉が続きます。近代の扉が開かれて三〇年で、武士道の「掟」「体系」は早くも失われつつあると言うのです。
 では、武士道はいつの時代になら、「あった」と言えるのでしょうか。江戸時代に武士道はあったのでしょうか。
『武士道』の第一五章「武士道の感化」で、新渡戸は「武士階級を照らしたる倫理体系は時をふるにしたがい大衆の間からも追随者を惹きつけた」と述べています。芝居、寄席、講釈、浄瑠璃、戯作がその主題を武士の物語からとり、それらが語り継がれることによって農民や町人らすべての階級に武士道精神が浸透したと言うわけです。これはおそらく江戸時代のことを指しています。

オンライン家庭教師もないのに日本人は頭が良かった!?

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 江戸時代の日本人の識字率が高かったのは事実ですし、新渡戸の言うように武士をモデルにした物語はたくさんあります。主君の仇を討った赤穂四十七士は武士の鑑として「忠臣蔵」に描かれ、江戸や上方など都市部の町人たちの間で喝采を浴びました。今でも日本人の間では人気のある物語です。
 だが、赤穂浪士の討ち入りは、めったにないほどの大事件だったからこそ、あのような美しい物語として語り継がれたのではなかったのでしょうか。言い換えれば、新渡戸が危惧するずっと前から、理想としての武士道は常に失われ続けていた。あるいは現実にはなかったものを、人々はなんとか「失われた」という感覚でとらえようとした。
 実際には武士道は武士階級にすらほとんど定着しておらず、まして日本人一般の道徳体系として機能してなどいなかった。ただ憧れとしてのみ人々の心の中にあったとぼくは思うのです。
 たとえば聖書の中には、「次、左の頬を打たれたら右の頼を出せ」という記述がりますが、だからと言って当時のキリスト者が皆これを実践していたことにはならないでしょう。日指すべき理想として掲げられていたというだけです。
 ついでながら言えば、『武士道』の中には切腹に関する記述があります。新渡戸は、切腹は単なる自殺の方法ではなく、「それが法律上の刑罰として命ぜられるときには、荘重なる儀式をもって執り行われた」と書いていますが、実例の描写にあたっては外国人による目撃談を引用しています。幕末の日本に外交官として赴任した英国人ミットフォードによる『旧日本の物語』からの引用です。
 ミットフォードは、切腹の作法をつぶさに見て記録を残しました。その筆致はリアリズムに徹しており、日本人が芝居や物語を通して知る切腹シーンより、よほど客観的となっています。切腹ひとつとっても、日本人がいかに客観性を失っているかが、あのくだりを読むとすごくよくわかります。

【家庭教師コラム】日本人と欧米人の自然観の違い

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今回お話する話はオンライン家庭教師も受験も関係ありませんが、気晴らしに読んでみてくださいね。

どんな話かというと日本人と欧米人の自然観の違いについてです。

日本人の国民性は、この列島に暮らす人々の大多数が農耕民族だった歴史に起因します。農民は何よりも安定を重んじ、備えあれば愛いなしで、いつも万が一のときの準備を怠りません。貯蓄を好み、リスクを冒そうとしない日本人のキャラクターは農民の暮らしの中で形成されていきました。
 加えて日本は島国です。四方を囲む海をわれわれの先祖は自然の要塞にしてしまいました。元寇以外、他民族からの攻撃にほとんど脅かされずにすんだ代わりに、近代までの日本人は列島の中に閉じこもりました。
 日本人がいかに冒険心をもたなかったかについては、日本古来の船の構造を見ればになよくわかります。江戸時代に大坂と蝦夷地を結んだ北前船にしても、日本海沿岸を行き来するだけの帆かけ船でした。風に向かって進んでいく船を日本人は造らず、眼前に広がる太平洋に乗り出そうとは決してしませんでした。
 他方、西洋人は狩猟民族ならではの行動力、好奇心、アドベンチャー精神にあふれています。自然をも自らの管理下に置こうという意識が強く、どんどん船を造って世界へと旅立ちました。一五世紀の大航海時代には世界中の海をめぐりきり、海を知り尽くせば、今度は空です。飛行機を発明し、それでまた海を渡ろうとする。とにかく次々にチャレンジを重ねていくのです。
 欧米のヨット乗りたちを観察して気付くのは、彼らが頭のネジが飛んでしまっているのではないかというぐらい冒険好きなことです。陽気で楽天的で、自信とたくましさが全身にみなぎっています。そして、たいていのヨットマンは何をやっても食べていけるぐらいに思っています。
 日本人のヨット乗りを欧米人と比べると、よく言えば繊細、悪く言えば精神的なタフさに欠けるようです。四年に一度開催されるアメリカズ・カップを日指すような才能のある選手でも、レースが終われば、契約が終了し、無職になってしまうことを心配しています。先のことを悲観的に考えすぎてしまい、その結果、本番で実力が思い通りに発揮できなかったりします。

ここまで読んでくれたか、全然オンライン家庭教師の話出てきませんよね。

そうです。この記事はオンライン家庭教師の話はしません!人気ランキングも、おすすめの家庭教師も紹介しませんので

そのつもりで続きも読んで行ってくださいね。

かつて日本を訪れた西洋人は、日本人を「勇猛果敢な民族」と見なした?

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 完全に誤解だったと思います。確かに西洋人は今でも日本人にサムライのイメージを見ようとします。ぼくだって外国を旅行していて「オー! ラストサムライ」と冗談交じりに言われたことはあります。武士こそ日本人の典型という見方が、当の日本人の間でも根強いようです。
 しかし、日本人=サムライという見方は本当に正しいのでしょうか。江戸時代、武士階級の全人口に占める割合はわずか四%ぐらいでした。そんなこく少数の階級が、日本人全体のキャラクターを決定していたとは、ぼくには到底考えられません。人口だけ見れば、各地の農民の方が圧倒的に多数派だったのですから。
 黒澤明の映画『七人の侍』では、百姓たちが、食い詰めた浪人を雇って野武士の襲撃に備えます。百姓たちは戦いを武士に任せ、弱々しい声で「助けてくれ」と言いつつも、小屋の中に武器や食料をごっそり隠し持っている。あの姿こそ、本来の日本人をよく表しています。
 また、武士に勇猛果敢というイメージをもたせすぎるのもいかがなものでしょうか。江戸時代になると、武士はすでに戦闘の専門集団と言うよりは行政官でした。さほど武芸に秀でていなくても務まったし、剣術の腕よりも官吏としての能力が必要とされました。
 泰平の世で、武士道は茶道や華道のように作法としてのみ残っていたのであって、武士は言わば「家元」のような存在ではなかったのでしょうか。茶道は日本の伝統文ですが、現代のすべての日本人に茶道の心得があるわけではありません。同じように、武士道が現代の日本人のキャラクターに影響を与えているとは、ぼくに考えられないのです。

日本の和算は高等数学にかなり近かった!?

和讃と数学

 江戸時代の和算家、関孝和は立派な数学者だと思います。

微分積分にあと一歩まで迫ったとも言われています。

 和算は哲学や物理学との接点がなく、数学の奥深い概念にも向かっていきませんでした。

たぶん、漢字と和数字の記述方式では数学の複雑な概念を数式化するのは不可たったのでしょう。

それと、あの時代の日本人にとっての和算は、算盤や算術の延長線上にあり、実用以上の意味はありませんでした。

やはり西洋の数学とは別物と考えた方がいい。

数学という言葉が出て来ていますが、実はオンライン家庭教師の先生から勉強の話、、、ではないんです。今回も。

なぜ日本人は世界の仕組みを知ろうとしなかったか

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 ひと言で言えば、農耕民族の特徴です。

古来、農耕民は作物が期待通りに収穫できなかったら、それはもう仕方のないこととあきらめました。

天候は変えられないから、せいぜい神様に向かって祈るぐらいしかできることはない。

豊凶はお天道様のご機嫌にかかっていると達観するほかありませんでした。

 だから日本人は自然に逆らうのではなく、自然と一体化する方を選びました。

自然の仕組みを理解するよりも、それらをあるがままに受け入れたのです。

万物に宿る神々を信仰するアニミズムの自然観もそこから生まれました。

 西洋人は違います。もともと狩猟民族だった特徴を色濃く残しています。

狩猟民は獲物を狙うとき、常に瞬時の判断を迫られます。

放った矢が獣に当たれば、食べ物を手に入れられますが、しくじれば責任を負い、悪くすればどう猛な動物に襲われる危険性もあります。

狩猟は失敗した場合のリスクがあまりにも大きいから、人々はなんとか失敗しない方法を編み出そうとします。

したがって西洋人は自然を理解し、人間に都合よく改良する方法をずっと考えてきたわけです。

 日本人と欧米人の違いは、家畜やペットに対する接し方に如実に表れています。欧米人は人間と動物を明確に分けます。

狩猟生活をへて牧畜を営むようになった彼らにとって、家畜は生きていくための道具でした。

大切には扱いますが、人間の暮らしのために徹底的に利用します。ペットとの関係もそれに近いものです。

西洋と日本のペットへの考え方の違い

ペットの扱い方
西洋人はペットを愛してはいても、あくまでも人間の従属物として飼います。決して家族と同等には扱いません。

日本人は動物をすごく大事にします。その愛し方は友人・家族に近く、どこか隣人との同居を思わせます。

動物を完全に従属させず、自然な存在として理解しようともしません。

日本人のペットの溺愛ぶりは、最近ますますエスカレートしてきています。

同じことはSF映画や漫画に出てくるロボットの描き方についても言えます。

日本人にとって、ロボットはいつだって親しみやすい友達です。

ドラえもんはその典型であり、鉄腕アトムだって人類のために地球を守ってくれる心強い仲間です。

けれども、アメリカ映画に登場するロボットやアンドロイドは、どこか信用のおけない存在として描かれます。

人間が生活を豊かに過ごすために作ったロボットが、

人間社会に反乱を起こす恐怖がしばしばストーリーの主題になったりもするのです。

今回も受験と全く関係なコラムになってしまいましたが、、、教養と身につけておけば受験が終わり学生が終わり、社会人になった時に役立ちますので

オンライン家庭教師の先生がこんな話ししてたなぁという感じで覚えておいてくださいね。

世界の仕組みを知ることとは。(オンライン家庭教師関係ない話)

表現力とか想像力とか
理解力・想像力・表現力によって世界の仕組みを知ろうとすることはとても素晴らしいことです。

世界をよくするための論理的思考を働かせる。それらにはとても重要性があります。

(このコラムはオンライン家庭教師とはちょっと関係ない話です。)

世界の仕組みを知ってみる

世界を知る
 世界の仕組みを知ること。これは学問の領域で言うと哲学です。

ヨーロッパではギリシャ・ローマの時代から哲学が発達しました。

特にギリシャはそうでした。

ソクラテス、プラトン、アリストテレス、彼らはいずれも世界の仕組みを知ろうとしました。

 哲学と言うと、日本人は思想のようなものをイメージしがちですが、むしろ西洋の哲学は科学に近く、哲学者は同時に科学者でもありました。

彼らは、数学の定理を発見しようとし、物質は何からできているのかを考え、天体の動きの謎にも迫ろうとした。

世界の仕組みを総合的に探求する学問が哲学です。

 日本には元来そういう学問がありませんでした。

儒教がそうだと言う人もいるけど、日本人にとっての儒教は為政者の心構えのようなものであって哲学とは程遠い。

日本でも哲学が広がる

日本哲学
明治になって「フィロソフィー」が輸入され、日本人は初めて哲学と出会います。

ちなみにフィロソフィーを「哲学」と訳したのは、津和野藩士から幕臣に取り立てられ、

維新後、学者・啓蒙家としてさまざまな西洋の学問を日本に紹介した西周という人物です。

 それまでは訳語がなかったぐらいだから、明治初期までの日本には世界の仕組みを知ろうとする知の体系、哲学的な発想自体が存在しなかったことになります。

日本だけではなく、中国にも朝鮮半島にも、おおむね東アジアには哲学はなかったと考えられます。

 先日、講演会でドイツを訪れたとき、現地で働く日本人女性に案内されて、ミュンヘンにある大きな博物館を訪ねました。

船、気球、飛行機といった乗り物の歴史に関する数々の展示品がとても印象的でした。

 興味深く眺めていると、一緒に見ていた女性がつぶやきました。

「もしも世の中に男性がいなかったら、私たちは今頃まだジェット機で空を飛んだりはしてなかったでしょうね」

 なるほど、気球にしても飛行機にしても、なんとか発明してやろうと考えるのはみんな男たちです。

好奇心と願望を実現する努力

好奇心と

Young Child looking through Magnifying Glass


男はいつの時代もバカなことを考える。

空を見れば、飛びたいと本気で考え、船があれば、大西洋を横断してインドに到達してみようと思いつく。

広い世界を見て、好奇心を抱き、願望を実現させてしまう。

こういうことをするのは、いずれもどこか頭のネジが飛んだおバカさんたちです。

 この愛すべきおバカさんたちが野望を成し遂げるためには、世界の仕組みを知ることが必須となります。

飛行機の発明は、鳥はどうやって飛ぶのかという研究から始まりましたし、ヨーロッパから西回りでインドに行く航海は、地球は丸いという仮説の検証を含んでいました。

歴史上の冒険者たちは世界の仕組みの、少なくともその一端を知ろうとした。

 しかし、日本人はそうではなかった。世界の仕組みを知ろうとする好奇心が欠如していたのです。

だから日本には哲学だけでなく、物理学も数学もありませんでした。

博物館を一緒に歩いた女性の言葉を借りるならば、もしも世界中が日本人ばかりだったら、

やはりわれわれは今頃ジェット機で空を飛んだりはしていなかったことでしょう。

 ちなみに、ぼくは頭のネジを二、三本飛ばして、もっともっとバカになりたいと常に思っているのですが、

常識に邪魔されて、なかなかバカになり切れません。残念です。

バカと言っても勉強しなくていいという意味ではありませんよ。

オンライン家庭教師の講師がこんなこと書いていてはいけませんね。

勉強頑張りましょう。←

学校も競争社会!?勉強は「助け合い精神」を身につける

受験競走
教師や親が競争を煽ると、子どもたちの頭の中に、自分だけ勉強ができればいい、相手を蹴落とせばいいという考え方が成立してしまいます。

そうすると、自分だけ陰に隠れてこっそり勉強したり、試験に出そうな箇所がわかっても人には教えないような心の歪んだ人間ができます。

もちろん、この場合は相手が知っている情報も教えてもらえないから、子ども同士の関係はとてもギスギスしたものになります。

 そうではなく、子ども同士が協力し合う関係を作っていく方が、教育上のメリットは圧倒的に大きいのです。

英語が得意な子は他の子に英語を教え、代わりに理科や数学の秀才から、わからないことを教えてもらう。

ある子どもは歴史の面白さをみんなに話し、別の子は日本語の奥深さを周囲に伝える。

実際、ぼくは中学生の頃、仲のいい仲間たち四人で放課後、机を並べて一緒に勉強していました。

四人すべての成績が上がりました。

足りないものを補い合う

受験のために勉強
自分の得意な分野を自分だけのものにしておいても、その子の成績は伸びないし、逆にグループや組織が協力し合えば、全体の成果が上がるはずです。

実社会では当たり前のことが、教育現場では通用しないのだとしたら、奇妙と言うしかありません。

 小学校の運動会をめぐって、「順位をつけるのはかわいそうだ」とか「いずれ競争社会に突入していく子どもたちに

小さいうちから競争させるのはよくない」といった大人たちの話を耳にします。

これは前提がおかしい。現実の社会が競争ではなく、協力関係で成り立っているという前提を理解していれば

若いうちにスポーツやゲームで勝敗を競うのも悪くないということが自ずとわかるはずです。

 みんなが協力していくのが社会の掟なのだから、子どものときぐらい勝ち負けの体験をさせた方がいい。

勝ってうれしい思いに浸れることもあれば、負けて悔しさや苦しみを感じることもある。

当然、仲間と協力して何かを成し遂げる喜びや充足感も生まれてくる。

もちろんオンライン家庭教師では、協力して何かを成し遂げるということはできません。

だからこそ学校での時間はそう言った人間的なことを身につける教育も必要です。

受験だけじゃなく、生き方を教える

受験だけじゃない
 大切なのは、子どもたちが喜びや悲しみ、苦しさや悔しさ、幸福感や充足感、不安や恐怖に至るまで、さまざまな感情をバランスよく体験することです。

そのことによって困難にぶつかったときに克服する力が強くなる。そして自分も伸びるし、他人も伸ばす。

この形にもっていった方が、結局は自分のためにもなる。これが協力社会のすばらしいところです。

世の中は決して競争社会ではなく、「協力社会」であるという前提を一人一人が信じなくてはいけません。

 教育の現場に競争原理を持ち込むべきではありません。

勉強は「受験」のためだけではないのです

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受験一辺倒ではなく、本当の意味で人を育てる

学校の先生、塾の講師、またオンライン家庭教師の講師も同じように、教育の場や家庭においても、

教師や親が絶対に言ってはいけないことが一つあります。それは「競争社会」という言葉です。

「勉強しなさい」と激励するのはまだいいとして、その理由として「世の中は競争社会なのだから」「社会に出たら競争なのだから、負けてはいけない」と言うのは、子どものためにならないだけでなく、間違っています。

世の中は断じて競争社会ではないからです。

 現代社会に競争の要素がないとは言いません。

サル山のボス争いと同様の現象は確かに起きうる。

しかし、これは社会全体で見れば、ほんのわずかなことにすぎません。

同じ種の内部、人間なら人間社会においては、競争より協力することによって、生き延びるケースの方がずっと多いのです。

競争よりも共存共栄

共存共栄
身近な例を挙げてみましょう。

先ほど話した小学生時代の友人、A君は国会議員を二期務めました(残念ながら落選して現在は国会議員ではありません)。

彼が地元から選挙に出ることになったとき、ぼくは応援に駆けつけました。

選挙運動をそばで見ていて感じたのは、何百人もの後援者が、彼を当選させるために盛り上げていることでした。

作戦が練られると、それに沿って人々が協力し合い、ポスター張りや選挙カーの運転など、まさに一つの目的に向かって疾走していく。

 相手陣営にしてもそれは同様です。

最終的には対立候補同士、一対一の戦いになるわけですが、競争と協力を比較して選挙戦全体を眺めると、協力関係の占める割合の方がずっと多い。

それをぼくは「九九%の協力と一%の競争」と呼んでいます。

 これはあらゆる世界に当てはまります。

ぼくの好きなヨットレースで、船をスムーズに動かすためには、クルーたちの協力が必要になってきます。

帆を上げ、舵を取り、風向きや天候によってマストを上げたり降ろしたりと、全員が息を合わせ、微妙に動きを変えることで迅速に船を走らせます。

チームワークが乱れると、レースに勝利するどころか、遭難の危険さえ出てきます。

これは日々の学習・生活にも言えることです

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 実社会においても、競争ではなく、協力が大前提です。

幸いにして『リング』シリーズが世界中で売れましたが、ぼくはだれかと競争したわけではありません。

編集者たちとの協力があって、あのシリーズが生まれたのだし、映画化にあたっては、

監督やプロデューサーをはじめ、もっとたくさんの人たちとの協力関係がありました。

 作家としてのぼくの周りには、いろいろな出版関係の人が出入りしていますが、彼らも競争なんかしていません。

むしろ、みんなで順番に、表現は悪いけれどタライ回しのように「あいつのおいしいところを取り合おう」という具合になっています。

どこかの社が抜け駆けしようなんてことは考えられないし、ときにはまったくのライバル社同士が協力し合って本を作ります。

 講談社のために書いた原稿を、新潮社の人が沖縄から東京まで運んでくれたこともあります。

講談社が用意してくれた缶詰用のホテルに、毎晩、他社の編集者が集い、飲み食いのツケをすべて講談社にまわしたこともあります。

ある出版社から出た作家の本がベストセラーになったからと言って、他の出版社や作家がそれを叩き落としてベストセラーを送り出すわけではないのです。

 社会に出てからは、競争はほとんど行われていません。

むしろ、他人同士がいかによい協力関係を築き上げられるかが大切になっています。

企業内では少人数のグループが協力し合って研究成果を上げ、グループが集まってさらに大きな成功を目指しています。

もちろん、ライバル企業に打ち勝って、自分たちがサクセスを収めなければならない場面もあるでしょうが、そのライバルも内部には膨大な協力関係があります。

 学問の世界もしかり。

現在では経済学や物理学、心理学などあらゆる学問がそれぞれの専門分野だけを追究するのではなく、お互いに複雑に絡み合って発展していきます。

もはや研究者一人の能力では立ち向かっていけなくなっているし、他分野の人間が協力しあう方がはるかに得るものは大きいのです。

「生存競争」という言葉はダーウィンの進化論からきていますが、「STRUGGLE FOR EXISTENCE」を「生存競争」と翻訳したのが間違いのもとではなかったかと思っています。

「STRUGGLE」という単語の意味は、「競争」ではなく「あがき」「奮闘努力する」というものです。

本来なら、「生命とは生きるために頑張るものだ」となるべきでしょう。

また、今西錦司さんが説く進化論の基本概念は、「共生」と「棲み分け」であって、競争を否定しています。

尊敬できる家庭教師・学校の先生との出会い

家庭教師・学校の先生との出逢い
私は今、オンライン家庭教師の講師として活動しておりますが、小学校五・六年生のときの担任の先生が思い出に残っています。

その先生の専門は国語で、子どもたちに文章を書かせることに熱心でした。

「日記を毎日書きなさい」と言われ、枚数も四〇〇字詰め原稿用紙三枚と決まっていました。

子どもにとってはかなりの長さだから、とても毎日は書けません。

実際、毎日実行できるような子はクラスにいませんでした。

 卒業を半年後に控えた頃だったでしょうか。

ぼくは同じクラスの親友で、後に国会議員になった鈴木康友君と約束しました。

何がきっかけだったのか忘れてしまったのですが、「どちらが毎日、日記を書き続けられるか勝負しよう」という話になりました。

 男同士の約束だから破るわけにはいきません。

途中であきらめるのは悔しいから、やめたくてもやめられない。

と言っても、小学生の日常なんて毎日が同じようなことしか起きないものです。

すぐに書くことがなくなって、これは自分で自分の首をしめたなあと、後悔しました。

 苦しんだ挙げ句、原稿用紙のマス目を埋めるために書き始めたのが、初めての小説でした。

海が好きだったから、子どもたちが巨大ないかだを作って、太平洋を横断するという物語を書きました。

先生からの評価

学校の先生
 最初の三枚を書き、ペンネームを添えて、先生に提出しました。

そうしたら、先生がホームルームの時間に言ったのです。

「日記の代わりに小説を書いて出した子がいる。ちょっと読んでみよう」

 先生は、ぼくの名前を伏せたままペンネームだけ紹介して、作品を朗読してくれました。

そして「なかなかよく書けている。この人は作家の才能があるかもしれないね」と講評してくれました。

 思わぬ評価に気をよくしたぼくは、日記より小説の方が書きやすいこともあって、翌日、続きの三枚を書いて出しました。

先生はまたホームルームで朗読してくれました。

ぼくはすっかりうれしくなってしまい、まるで新聞小説を書くような気分で、毎日書き続けました。

先生は必ず読んでくれました。

やがて、ほかの子どもたちも次々にその気になり、クラス中が小説を書き始めました。

 ぼくの小説はストーリーの収拾がつかなくなり、未完のまま四五枚でストップしました。

今思えば、あの時の物語は作家としてのデビュー作『楽園』の原型になっています。

『楽園』は、ユーラシア大陸で別れ別れになった男女が一万年の時をかけて太平洋を渡り、新大陸で再会を果たす物語です。

書きかけのまま、難破してしまった少年の日の小説を、ぼくは大人になってから完成させることができました。

今ではオンライン家庭教師の講師として働いていますが、

家庭教師の先生という職業を選んでいなければ、もしかしたら小説家としての人生を歩んでいたかもしれません。

日記を書く習慣を指導してくれた

 先生との間には後日談があります。

先生は教師を退職した後、故郷の浜松で文芸館に勤めました

。『リング』シリーズが売れた後、その文芸館で「鈴木光司展」を催してくれることになり、ぼくは講演を依頼されたのです。

 恩師を前に、ぼくは、自分で書いた最初の小説をほめてくれたのは先生だったと話しました。

 ところが、先生は「私の教育方針は、絵の下手な子がいれば上手いとほめることだった」と言うのです。

館内は大爆笑。おまけに先生は、ぼくが小説を書いたことすら覚えていなかったようでした。

 いずれにせよ、ぼくが作家になれたのは、あの先生との出会いがあったおかげだったかもしれないと思っています。

先生が書くことの大切さと楽しさを教えてくれ、書いたものをほめてくれた。

その喜びはしっかりと心の中に刻まれていたにちがいありません。

勉強が楽しくなる教え方

オンライン家庭教師で娘に勉強を教える
私の娘に勉強を教えたときの反応を紹介します。

 すごく喜んでいました。

勉強する意味がわかると、勉強が面白くなっていきます。

加えて、子どもは親と一緒に勉強することで、親の愛を実感するものです。

だから自分から「教えて、教えて」とせがんでくるようになります。

 娘たちとの勉強で、特に有意義だったのが英文の長文読解でした。

大学受験を控えた長女のために原書の評論から模擬問題を作りました。

内容は、高校の授業で用いるリーダーとは比較にならないぐらい難解なものでした。

これを一日わずか二段落ぐらいのペースで読み進め、ぼくが作った設問に論述で答えさせました。

 おわかりでしょうか。この勉強法は、学生時代にぼくがサルトルの原書講読の講義を受けたときのやり方です。

 ぼくにとっての慶應の沢田先生や永井先生のような人物との出会いが、中学か高校ぐらいであると理想的でしょう。

一人の教師との出会いは、子どもの人生を変える。

別に大げさに言うつもりはなく、本当にそうだと思っています。

教師の側にもかなりの能力が求められる

塾の先生
 よく、「頭の悪い先生の方が生徒の気持ちがわかる」などと言われますが、とんでもない。

教師は常に生徒が頭の中でどんなイメージを描いているかを想像し、そのイメージがより具体的になるように手助けしなくてはなりません。

すごく能力が必要とされる職業です。オンライン家庭教師は特に目の間に生徒さんと先生がいるわけではないので最も重要です。

 また、すでに述べてきたように、勉強の目的はリテラシー能力の涵養であり、子どもたちは、共同体をよりよくするために勉強するわけです。

したがって、教育は社会にとって最も重要なものです。詰まるところ、社会の将来は教育現場にどれだけ優秀な教師を投入できるかにかかっています。

 優れた人材を教育界に供給するためには、教師という職業に魅力がなくてはなりません。

そのためなら給与を年収一〇〇〇万円以上ぐらいまで引き上げてもいいと思いますが、これだと予算がかかります。

では限られた予算の中で人材を集めるためにはどうすればいいのでしょうか。

 実はお金をかけずに優秀な教師を集められて、来年度からでも実行可能な方法が一つあります。

夏休み・冬休み・春休みをすべて休暇として教師に保証するのです。

 最近の学校教育においては、教師は夏休みでも毎日のように職員室に出勤しなくてはならなくなっています。

あるとき、ぼくは学校の先生を集めた講演会に招かれました。

講演が終わった後、主催者側の教師と雑談するうちにその話題が出ました。

「そう言えば、最近、先生たちは夏休みも学校に来るらしいですね」

 ぼくの質問に対し、その先生は「そうなんですよ」とボヤキ気味に言いました。

「どうしてそうなっちゃったんですか」
「ずるいって言われるんですよ、学校の先生だけが長い夏休みをとっていると」
 ぼくはあきれて二の句が継げませんでした。

結局、日本の社会に夢延しているのは妬みの感情なのです。

一般のサラリーマンや事業主に比べて、教師が長い休暇をとる。

これが許せないという理由で、休暇の日数をみんなと同レベルにまで引き下げてしまう。

こんな醜い妬みがはびこっているようでは、日本の教育は決してよくなりません。

 四〇日余りの夏休みは確かに長期です。

普通の人にはとても味わえないようなバカンスを満喫できる長さです。

だからこそ、その間は教師を雑務から解放し、普通の生活ではできないような体験を積んでほしいと社会が要請することも可能になります。

 たとえば、ありふれた海外旅行では行けないような国々を旅してもらってもいい。

帰国後、教室で外国の歴史や美術について大いに語ってもらえば、子どもたちは必ず触発されます。

教師の経験を通じて、世界を知り、遠大なイメージを受け取れます。

 人生において、優れた教師との出会いは子どもの人生を大きく変えます。

たとえ、不幸な家庭に生まれ育った子どもであっても、一人の教師との出会いによって成長し、人生が切り拓かれる可能性は十分あります。

そのためにも、優秀な教師を学校に配置し、子どもたちのために十分な休暇をとってもらうことは、社会にとってマイナスではないはずです。

 学校の教育現場には、おおらかさがあった方がいい。