勉強法・思考法

勉強の初歩は、理解力・想像力・表現力を磨くための最初のトレーニング?

オンライン家庭教師 勉強 基礎

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昔の「読み書き算盤」のような勉強の初歩は、理解力・想像力・表現力を磨くための最初のトレーニングということになりますか?

そうだと思います。だから基礎に関しては「つべこべ言わずに勉強しろ」と言ってもいいかもしれない。だけど、「得た知識が何の役にも立たない」といった考え方だけは、まず親には捨ててもらわなくてはいけません。でないと子どもに面と向かって勉強する意味を訊かれても、返事に詰まることになるのです。

学校の先生や、塾、家庭教師の先生はさらに勉強をする意味について説明する準備はしておかなければいけません。これはオンライン家庭教師も同じことです。

実際には勉強で身につけた知識は、子どもが成長するにしたがって血となり肉となっていきます。将来まったく役に立たないということはないし、知識にどれだけ肉付けできるかはその子の学力にかかっています。けれども、勉強の本質は知識それ自体の獲得ではなく、理解力・想像力・表現力という三つの能力の訓練だということは忘れてほしくありません。

では、三つの力は何のために身につけるのでしょうか。身につけると、どんないいことがあるのでしょうか。

一つ言えるのは、世界の仕組みに対する理解度が増してくるということです。これは、少なくともぼくのようなオンライン家庭教師の仕事をしている人間にとってはすごく大事なことです。いつも世界や社会はどうなっているかを深く考え、理解したいと思っています。自分の作品の中でも「世界はどうなっているのか」というテーマを一貫して展開し、追究しています。

小説家でなくても、世界を知るのは重要なことです。今の時代、テレビやインターネットからさまざまな情報が飛び込んできます。次から次へと垂れ流される情報を鵜呑みにするのではなく、必ず一度疑って、できれば自分で検証してみてから受け入れる、あるいは、自分の意見や考え方をもって情報と接する姿勢がこれからは非常に大事になってきます。勉強の積み重ねによる理解力・想像力・表現力の訓練は、この生きる力に通じます。

メディアが発信するメッセージを批判的に読み解き、深く解釈することをメディア・リテラシーと言います。「リテラシー(literacy)」を直訳すると、「学問(教育)のあること」「読み書きの能力」という意味になります。文字通り、リテラシー能は勉強で身につける力です。

選ばれているオンライン家庭教師はそう行った知識や教養も身につけている先生が多いです。

したがって、何のために勉強するのかと訊かれれば、理解力・想像力・表現力を向上させて、リテラシー能力をつけるためだと答えることができます。個々の人間のリテラシー能力が高まれば、誤った判断を下すシチュエーションが減ります。価値のあるものと価値のないもの、優れたものと下劣なものをしっかりと見分ける確かな眼を一人一人がもつようになり、そのことによって社会全体がよりよくなっていくはずです。

たとえば、残酷なテレビゲームが販売されると、子どもたちに悪影響が出るのではないかとよく言われます。しかし、子どもたちがリテラシー能力をもっていれば、遊びは遊び、現実は現実と理解できます。そういう子は画面上の残酷シーンと現実を混同したりはしないでしょう。多くの人々の間で、そのゲームはくだらないと評価されれば、自然に社会から排除されていきます。

リテラシー能力が必要とされる場面は、民間人が巷にあふれる情報や商品、サービスをどう受け止めるかといったときだけではありません。外交交渉などに携わる政治家には必須の能力です。

諸外国との交渉時には、相手国の主張をよく理解し、ものの考え方を十分に踏まえて、要求を丸呑みせず、国益を守り、なおかつ世界の進歩に貢献するためにしっかりした意見をもって表現しなければなりません。勉強で理解力・想像力・表現力という基礎を身につけず、したがってリテラシー能力のない人が政治家になったりすると、国民は非常に迷惑します。

また、残念ながら、日本がこれだけ国際化しても、海外に行って、自分の主張を正々堂々と伝えられる人間は、やはりそんなに多くありません。それは論理的表現力が乏しいからです。英語力の問題ではありません。

 

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しかし、教育現場の教師たちは、受験に勝ち抜くための手段として知識の習得や学力向上を優先し、理解力・想像力・表現力の三点セットやリテラシー能は大学なり社会に出てから磨けばいいと考えているのではないでしようか?

現場で授業をする教師たちの責務は重いでしょう。理解力・想像力・表現力を高めるような教育をしようと思えばできるはずだし、それらの力を試すような試験問題を作ることも可能なはずです。

しかし、そういったことを学校や教師たちがあまり理解していないというより時間的に無理があるのでしょうね。だからこそオンライン家庭教師の先生方は学習への理解を深めることを伝える努力が必要かもしれません。

加えて今の高校で問題なのは、生徒をすぐに文系コース・理系コースに分けてしまうことです。確かに大学受験の準備に早く取りかかるためには、志望を早めに分けてしまった方が効率的かもしれません。けれども、受験に有利か不利かということばかりにとらわれてしまうと、生徒の勉強の幅がなくなる。勉強の幅が狭ければ、ダイナミックな思考ができなくなる。

また、生徒が勉強を「大学に入るための手段」と割り切ってしまうと、せっかく勉強していても、それが無駄なものに思えてきます。無駄なものと思いながら時間を費やすのはストレスのもとになります。塾だろうが学校だろうがオンライン家庭教師だろうが、勉強に前向きに取り組む姿勢が大切ですから。

文系・理系にこだわらずに勉強することは、決して無駄ではありません。むしろ、高校時代ぐらいは文系・理系の枠にはめず、いろいろな科目をオールラウンドに勉強させるべきです。わずか一六歳で進路を決めるなんて早すぎるし、受験科目にない勉強はしなくていいと切り捨ててしまうと偏った人間ができてしまいます。

高校にいる間は広く浅くいろいろなことを経験し、自分は何に向いているのか、何が好きなのかをじっくり見極めて大学へ入ればいいのです。たとえ一度や二度、入試に失敗しても、浪人して予備校に通えば十分間に合います。ちなみに、ぼくは高校を卒業して、大学に入るまでに二年間のブランクがありました。

子どもたちのどんな能力を育てるべきかについて、教師たちにもっと真剣に考えてほしいものです。学校教育と受験テクニックの習得はやはり別問題なのです。受験がただ合格者の選別のためにだけ行われてしまうと、生徒の真の学力を問うような試験問題も作成できなくなります。

高校時代の友人で、物理系研究者の道に進んだ人物がいます。彼の頭がすごくいいことはみんなが認めるところで、特に数学と物理ができましたが、不思議なことに模擬試験でさほど点数が取れないことがありました。ふだんは難解な数学の問題を実に楽しそうに解いているのに、常識的なポカも多かった。あまり勉強しないので、社会などはそれほど成績がよくない。国語は常によくできた。その彼が東大の入試には一発で合格しました。

あまり使いたくない言葉ですが、「よい大学」と言われるような学校の入試問題を見ると、受験生の能力を総合的に評価できるような設問になっています。論述式の出題が多く、知識のある・なしを試す問題は少ない。理解力・想像力・表現力を試すような設問形式が多いのも特徴です。

そういった難関校を受験しようと思ったら、やはりガリ勉や点取り虫では通用しません。東大に行った彼もガリ勉とはまったく違うタイプでした。その点では東大の入試問題というのは、頭のよさを見抜く、よくできた試験なのかもしれません。ちなみに、ぼくは東大の文学部を落ちました。ただ単に勉強をがむしゃらにするだけじゃなく、いい子でいるだけでなく、今なぜ勉強しているのかという問題への理解を深めるお手伝いをするのもオンライン家庭教師の先生の仕事だと思います。

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中学・高校の効率主義と、学生に総合力を求める大学側の姿勢がかみ合っていないということですね?

大学に入ってからの勉強の仕方についても、日本は問題が多いと思います。たとえば、ある大学生が歴史学者を目指したとします。大学で歴史ばかり勉強していても、所詮は二流か三流の学者が関の山でしょう。歴史以外の教養をもっていてこそ、一流の歴史学者になれる可能性があります。同様に、数学ができるから一流の数学者になれるかと言えば、決してそうでもありません。

研究者は論文を書き、自分の考えを言葉で表現しなくてはなりません。さまざまな文献から引用することもありますし、歴史的な認識も必要になってくる。学問の世界で本当に成功している人間は、いろいろな分野に興味があり、好きなジャンルが多岐にわたっています。専門分野の研究に閉じこもっていても、成功はおぼつかないということです。

その点、アメリカは進んでいて、たいていの学者は専門分野以外にも造詣が深い。物理と生物の両方を専攻する科学者とか、博士号を二、三もっているなどという人物はざらにいます。そういう学者は多領域に詳しい真の教養人でもあります。

また、アメリカの場合、大学で一般教養に当たる科目をかなり学ばざるをえないようにカリキュラムが設計されています。医師や弁護士を目指す学生は卒業した後で、向こうの大学院に当たるメディカルスクールやロースクールへと進んでいきます。大学というのは、社会に出て役に立つ実学を学ぶ場所ではなく、教養をしっかり身につける場所であり、専門教育は大学院で受けるという考え方がシステムとして根付いています。

日本でもオンライン家庭教師という文化が着々と根付いているのですから、是非利用してほしいと思います。

 

前回の記事はコチラ→【勉強しなければならないと子供に伝える為に

 

「なぜ勉強しなければならないのか?」

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なぜ勉強しなければならないのか?

オンライン家庭教師の仕事をしていて、よく「なぜ、微分積分を勉強しなければならないの? 文系に進めばそんなもの学んだって、何の役にも立たないじゃない」

と、子どもから尋ねられます。あなたならどう答えますか。

おそらくオンライン家庭教師でなくても、学校でも塾でもこの質問が出てくるタイミングはあるでしょう。

化学式を覚え、歴史の年表を暗記することに、どんな意味があるのか、子どもに説明することができるでしょうか。

勉強することの意味を子どもにわからせるのはとても大切なことです。受験勉強がまったく無駄な知識の語め込みだと思い込んだら最後、子どもにとって勉強は苦しみの対象となってしまいます。

アルベール、カミュはギリシャ神話を題材に『シーシュポスの神話』を書きました。英雄シーシュポスは神々によって地獄に落とされます。彼の受けた刑罰は、休むことなく岩を転がして、ある山の頂上まで運び上げるというものでした。長い時間をかけてようやく頂に達すると、岩はそれ自体の重さで、下へと転がり落ちていきます。シーシュポスは再び、いや永遠に岩を頂上まで押し上げてこなければならないのです。

神々は無益で希望のない労働ほど恐ろしい懲罰はないと考えたのであり、カミュはシーシュポスを不条理な英雄と呼びました。では、現代の子どもたちはどうでしょうか。勉強を無意味なことの繰り返しと思い込むことによって、シーシュポスと同じように刑罰を受けることになるのでしょうか。

もちろんオンライン家庭教師の授業中にこんな話に時間を取るわけではありません。

 

勉強することの意味とは?

勉強することの意味を子どもから訊かれ、親が合理的に答えることができれば、勉強は無意味ではなくなります。子どもの勉強に対するモチベーションも飛躍的に上がるはずです。

実際、わが家の娘たちがそうでした。作家になる以前、塾の講師や家庭教師をした経験があるため、自分の子どもにも勉強を教えましたが、同時に、勉強することの意味も徹底的に教えました。おかげで、「勉強しろ」と子どもたちを叱る機会は一度もありませんでした。言われなくても、自主的にやったからです。

「勉強して得た知識など役に立たない」という声を耳にします。勉強して手にいれた知識そのものが役に立つのではありません。歴史の年表や化学式を記憶したとしても、専門の分野に進むのでなければ、せいぜいクイズ番組で役立つ程度でしょう。

当サイトで詳細にふれていきますが、将来、有効となる能力とは、「理解力」「想像力」「表現力」の三つです。数学や外国語、歴史、理科など、さまざまなジャンル、要するに別角度からのアプローチを経て、この三つの力を養うのが勉強の本質なのです。

人生におけるほとんどの仕事は、この能力によってなされます。あるいは、子どもが成長して、大きな困難にぶつかったとしても、この能力が養われていれば、上手に克服することができます。

オンライン家庭教師のカリキュラム自体に人生論はありませんが、勉強と通じでいろんなことを学ぶことができます。

 

子どもたちに明るい未来を提示するということ

さらに、この能力は、小金を稼ぐためにのみ役立てるべきではありません。社会に貢献し、人類が進歩するための貴重な一助となるためにこそ、能力を高めなければならない、とそこまで言ってやると、子どもの目は断然と輝き始めます。

子ともの前でネガティブな姿勢を見せるのではなく、遠大な志を提示すべきでしよう。最悪なのは「昔はよかった」「世も末だ」「嫌な世の中になったもんだ」などという嘆きを子どもに聞かせることです。これは百害あって一利なし。やる気を失わせるだけです。

過去に理想の形があり、文明の進歩とともにそれが失われてきたという考えは、完全に間違っています。過去から現在へと、みんなが手探りで、よりよい方向を目指して行きつ戻りつして進んできたのが世界の歴史です。

勉強へのモチベーションを高めるためには、明るい未来を提示することもまた必要です。

人気のあるオンライン家庭教師は、生徒のモチベーションを上げるのもうまいという共通点があります。

 

 

子どもに「勉強しなくてはいけない」と教えることは可能なのでしょうか?

オンライン家庭教師 学校

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あえて反論の形で尋ねますが、子どもに「勉強しなくてはいけない」と教えることは可能なのでしょうか。「やらなくちゃいけないものは、やらなくちゃダメだ」と言うだけでは足りませんか?

やはり子どもにきちんと理解してもらうためには、言葉を使って、なぜ勉強が重要かということをわからせないとダメだと思います。たとえば、朝起きて「おはよう」と言うとか、近所の人に会ったら「こんにちは」と挨拶するとか、こんなことはなぜするのかを長々と説明する必要はありません。「挨拶は人間関係を円滑にするために必要」と端的に言ってやればすむ話です。

しかし、勉強はなぜしなくてはならないのか、なぜやった方がいいのかについては、上の世代がきちんと、わかりやすく下の世代に示すべきです。別にすべての子どもが勉強をする必要はないのだけれど、やれる能力のある子、やれる環境にいる子に対しては、「勉強するとよいことがあるんだぞ」と教えた方がいい。

いい年をした人がよく「学校では役に立つことを何にも教えてくれなかった」とぼやくのを聞きます。「学校の勉強なんて社会に出ても何の役にも立たない」と平気で口にする大人もいます。これはとてもおかしなことです。なぜなら、彼らは「学校では役に立つ知識を教えてくれない」と言っているようなものだからです。

役に立つ知識とは一体何なのか。どんな知識なら社会に出て役に立つのか。最近だとパソコンの使い方ぐらいは世の中に出る上で必要かもしれません。家庭教師も実際に訪問するタイプではなく、オンライン家庭教師(インターネット家庭教師とも呼ばれる)が主流になりつつあります。それくらいパソコンは一般常識として使えて当たり前の時代になっています。しかし、そんなものは学校の外でいくらでも学べるし、社会に出てから覚えてもぜんぜん遅くありません。もちろん、生きていく上で知識はあるに越したことはないのですが、学校で本当に学ぶべきこと、それは知識それ自体ではないのです。

 

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学校で知識を身につけるのではないとすれば、一体何を学ぶというのですか?

世界史のフランス革命を例に考えてみましょう。フランス革命は一七八九年に起きました。人権宣言が決議されて共和制が始まり、ルイ十六世が処刑された。その後は年表をたどれば、ジャコバン党による恐怖政治、ナポレオンの台頭……と出来事が続いていきます。これらがフランス革命にまつわる「知識」ですが、すべて覚えれば社会に出てから何かの役に立つかと訊かれれば、ほんど役に立ちません。

しかし、高校では社会科を勉強しなくてはならないし、選択科目の中から世界史を選べば、必ずフランス革命を学ぶことになる。それはヨーロッパで起きた歴史的事実に詳しくなるためではないし、大学受験に合格するためでもない。世界史という学問を通じて、ある能力を身につけるためです。それが「理解力」「想像力」「表現力」の三つです。理解力については「読解力」と言い換えてもいいでしょう。

世界史の授業でフランス革命のくだりに差し掛かったら、まず教科書の記述を読んで正確に理解し、革命に関する一連の事件の流れ、人々の動きなどを自分の頭の中に入れることになります。これが理解力であり読解力です。その読解力はオンライン家庭教師でも十分に身に付けることができます。

次に自分の生きてきた体験や新たに自分で得た関連知識などを付け加え、フランス革命に関する理解を広げていきます。革命が当時の世界に与えた影響や現代社会にもたらしたものなどを自分の頭で考えるのです。この過程で身につけるのが想像力であり、かなりの部分、記憶力とも関係してきます。それまでの人生で学んだことを加味して、理解した事柄のイメージを広げ、独自の思考、考え方をもつ。この作業によって想像力が養われていくのです。

さて、試験が始まれば、フランス革命の史実とそれにかかわる自分の見解を言葉で明快に書き記さなければなりません。この能力が表現力です。残念ながら、今の教育では論述式の試験が主流ではありませんので、表現力を培うのはなかなか難しいのが現状です。しかし、たとえそうであるにせよ、表現、つまりアウトプットが勉強の重要な要素であることは間違いありません。

子どもたちは世界史でフランス革命の知識を詰め込まれているのではなく、世界中で起きたさまざまな出来事を学びながら、理解力・想像力・表現力を鍛える訓練を繰り返しているわけです。

 

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ということは、学んだ知識は忘れてしまってもいいのですか?

知識を取り入れながらも、やっていることは理解力・想像力・表現力を高めるためのトレーニングだという意味においてはそうです。

細かい知識は忘れてもかまわない。はっきり言えば、文系の人にとって数学の微分積分は無用な知識でしょう。たぶん多くの文系出身者は微分積分に嫌な思い出はあっても、内容そのものはきれいさっばり忘れていると思います。

ただし、数学嫌いの人にとって、数学に挑む機会は決して無意味ではありません。数学もまたトレーニングだからです。まず教科書に書いてあることを理解(読解)する。次に出された例題に取り組み、自分の想像力をプラスして解法を考える。最後に数式を用いて解答を導き出し、表現する。つまり数学を学ぶ本当の目的は世界史と同様、想像力・表現力という三つの能力の習得なのです。人気のオンライン家庭教師ではそう行った勉強の意味も教えてくれます。

数学という学問では、一切の無駄をそぎ落とした論理性が要求されます。幾何の証明問題がよい例ですが、理解から想像、表現に至る思考の流れを理路整然とコンパクトに、過不足なくたどらなくてはなりません。

英語にしてもそうです。長文読解問題では、書いてある文の内容を理解し、作者の意図を自分の記憶などと照らし合わせて想像し、設問に対して自分で答えを表現していきます。英語の勉強を通じて英会話をマスターできれば、なおいいのですが、最大の目的はそこにあるのではありません。また、今の学校の英会話教育には非常に問題があると思われますので、これについては後でふれることにします。

要するに、勉強というのは、インプットとしての理解とアウトプットとしての表現、その間をつなぐ想像、この三つの力の訓練だと言っていい。国語・数学・理科・社会といろいろな科目を学ぶことで、さまざまな角度から多面的にこれらの能力を磨いていく作業が学校での勉強なのです。

 

前回の記事はコチラ→【どうして勉強しなければいけないの?