江戸時代の和算家、関孝和は立派な数学者だと思います。
微分積分にあと一歩まで迫ったとも言われています。
和算は哲学や物理学との接点がなく、数学の奥深い概念にも向かっていきませんでした。
たぶん、漢字と和数字の記述方式では数学の複雑な概念を数式化するのは不可たったのでしょう。
それと、あの時代の日本人にとっての和算は、算盤や算術の延長線上にあり、実用以上の意味はありませんでした。
やはり西洋の数学とは別物と考えた方がいい。
数学という言葉が出て来ていますが、実はオンライン家庭教師の先生から勉強の話、、、ではないんです。今回も。
なぜ日本人は世界の仕組みを知ろうとしなかったか
ひと言で言えば、農耕民族の特徴です。
古来、農耕民は作物が期待通りに収穫できなかったら、それはもう仕方のないこととあきらめました。
天候は変えられないから、せいぜい神様に向かって祈るぐらいしかできることはない。
豊凶はお天道様のご機嫌にかかっていると達観するほかありませんでした。
だから日本人は自然に逆らうのではなく、自然と一体化する方を選びました。
自然の仕組みを理解するよりも、それらをあるがままに受け入れたのです。
万物に宿る神々を信仰するアニミズムの自然観もそこから生まれました。
西洋人は違います。もともと狩猟民族だった特徴を色濃く残しています。
狩猟民は獲物を狙うとき、常に瞬時の判断を迫られます。
放った矢が獣に当たれば、食べ物を手に入れられますが、しくじれば責任を負い、悪くすればどう猛な動物に襲われる危険性もあります。
狩猟は失敗した場合のリスクがあまりにも大きいから、人々はなんとか失敗しない方法を編み出そうとします。
したがって西洋人は自然を理解し、人間に都合よく改良する方法をずっと考えてきたわけです。
日本人と欧米人の違いは、家畜やペットに対する接し方に如実に表れています。欧米人は人間と動物を明確に分けます。
狩猟生活をへて牧畜を営むようになった彼らにとって、家畜は生きていくための道具でした。
大切には扱いますが、人間の暮らしのために徹底的に利用します。ペットとの関係もそれに近いものです。
西洋と日本のペットへの考え方の違い
西洋人はペットを愛してはいても、あくまでも人間の従属物として飼います。決して家族と同等には扱いません。
日本人は動物をすごく大事にします。その愛し方は友人・家族に近く、どこか隣人との同居を思わせます。
動物を完全に従属させず、自然な存在として理解しようともしません。
日本人のペットの溺愛ぶりは、最近ますますエスカレートしてきています。
同じことはSF映画や漫画に出てくるロボットの描き方についても言えます。
日本人にとって、ロボットはいつだって親しみやすい友達です。
ドラえもんはその典型であり、鉄腕アトムだって人類のために地球を守ってくれる心強い仲間です。
けれども、アメリカ映画に登場するロボットやアンドロイドは、どこか信用のおけない存在として描かれます。
人間が生活を豊かに過ごすために作ったロボットが、
人間社会に反乱を起こす恐怖がしばしばストーリーの主題になったりもするのです。
今回も受験と全く関係なコラムになってしまいましたが、、、教養と身につけておけば受験が終わり学生が終わり、社会人になった時に役立ちますので
オンライン家庭教師の先生がこんな話ししてたなぁという感じで覚えておいてくださいね。