私の娘に勉強を教えたときの反応を紹介します。
すごく喜んでいました。
勉強する意味がわかると、勉強が面白くなっていきます。
加えて、子どもは親と一緒に勉強することで、親の愛を実感するものです。
だから自分から「教えて、教えて」とせがんでくるようになります。
娘たちとの勉強で、特に有意義だったのが英文の長文読解でした。
大学受験を控えた長女のために原書の評論から模擬問題を作りました。
内容は、高校の授業で用いるリーダーとは比較にならないぐらい難解なものでした。
これを一日わずか二段落ぐらいのペースで読み進め、ぼくが作った設問に論述で答えさせました。
おわかりでしょうか。この勉強法は、学生時代にぼくがサルトルの原書講読の講義を受けたときのやり方です。
ぼくにとっての慶應の沢田先生や永井先生のような人物との出会いが、中学か高校ぐらいであると理想的でしょう。
一人の教師との出会いは、子どもの人生を変える。
別に大げさに言うつもりはなく、本当にそうだと思っています。
教師の側にもかなりの能力が求められる
よく、「頭の悪い先生の方が生徒の気持ちがわかる」などと言われますが、とんでもない。
教師は常に生徒が頭の中でどんなイメージを描いているかを想像し、そのイメージがより具体的になるように手助けしなくてはなりません。
すごく能力が必要とされる職業です。オンライン家庭教師は特に目の間に生徒さんと先生がいるわけではないので最も重要です。
また、すでに述べてきたように、勉強の目的はリテラシー能力の涵養であり、子どもたちは、共同体をよりよくするために勉強するわけです。
したがって、教育は社会にとって最も重要なものです。詰まるところ、社会の将来は教育現場にどれだけ優秀な教師を投入できるかにかかっています。
優れた人材を教育界に供給するためには、教師という職業に魅力がなくてはなりません。
そのためなら給与を年収一〇〇〇万円以上ぐらいまで引き上げてもいいと思いますが、これだと予算がかかります。
では限られた予算の中で人材を集めるためにはどうすればいいのでしょうか。
実はお金をかけずに優秀な教師を集められて、来年度からでも実行可能な方法が一つあります。
夏休み・冬休み・春休みをすべて休暇として教師に保証するのです。
最近の学校教育においては、教師は夏休みでも毎日のように職員室に出勤しなくてはならなくなっています。
あるとき、ぼくは学校の先生を集めた講演会に招かれました。
講演が終わった後、主催者側の教師と雑談するうちにその話題が出ました。
「そう言えば、最近、先生たちは夏休みも学校に来るらしいですね」
ぼくの質問に対し、その先生は「そうなんですよ」とボヤキ気味に言いました。
「どうしてそうなっちゃったんですか」
「ずるいって言われるんですよ、学校の先生だけが長い夏休みをとっていると」
ぼくはあきれて二の句が継げませんでした。
結局、日本の社会に夢延しているのは妬みの感情なのです。
一般のサラリーマンや事業主に比べて、教師が長い休暇をとる。
これが許せないという理由で、休暇の日数をみんなと同レベルにまで引き下げてしまう。
こんな醜い妬みがはびこっているようでは、日本の教育は決してよくなりません。
四〇日余りの夏休みは確かに長期です。
普通の人にはとても味わえないようなバカンスを満喫できる長さです。
だからこそ、その間は教師を雑務から解放し、普通の生活ではできないような体験を積んでほしいと社会が要請することも可能になります。
たとえば、ありふれた海外旅行では行けないような国々を旅してもらってもいい。
帰国後、教室で外国の歴史や美術について大いに語ってもらえば、子どもたちは必ず触発されます。
教師の経験を通じて、世界を知り、遠大なイメージを受け取れます。
人生において、優れた教師との出会いは子どもの人生を大きく変えます。
たとえ、不幸な家庭に生まれ育った子どもであっても、一人の教師との出会いによって成長し、人生が切り拓かれる可能性は十分あります。
そのためにも、優秀な教師を学校に配置し、子どもたちのために十分な休暇をとってもらうことは、社会にとってマイナスではないはずです。
学校の教育現場には、おおらかさがあった方がいい。