オンライン家庭教師 勉強する意味

オンライン家庭教師 勉強する意味

日本では親はわが子の成績アップや受験合格には熱心でも、勉強する意味まではわかっていない、だからなぜ勉強するのかを子どもたちに教えられないといったことはないでしょうか。

しかし、小学生や中学生の子どもをもつ親が、いくらわが子に「成績を上げろ」「受験に合格しろ」と言っても、子どもには勉強する意味がわかりません。意味がわからないまま机に向かっても成績は上がらないし、結局のところ受験勉強は身につきません。

むしろ、勉強の成果が表れ、本当に勝負が決まるのは成人してからなのです。「そのために勉強は必要だよ」と論す方がよほど伝わりやすいのではないでしょうか。

ただし、勉強する、しないというのは、一種の能力にかかわってきます。塾講師や家庭教師をやってきた経験から言わせてもらえば、勉強する子はするし、しない子はしません。

学生の頃、ある家庭教師先のお母さんに「勉強というものはやればできるんですよね?」と訊かれたことがありました。「結果は努力次第だ」と言ってほしかったようです。

この質問の答えにはとても困りました。勉強はだれでもができるものではなくて、子どもたちはポテンシャルの面においてすごく差があります。同じ中学生でも、連立方程式の概念をいくら説明してものみ込めない子がいるかと思えば、ほんの少しアドバイスをしただけで十分に理解し、かつ独創的な解き方を披露してくれる子もいる。できる子は勉強の仕方を知っています。学び方を自分一人で編み出すセンスがあるのです。

勉強ができるかどうかは野球の上手下手、速く走れるかどうかといった才能と似ていて、努力次第であとどのぐらい伸ばせるかということはあっても、それぞれの子どもの能力には、それぞれ幅のようなものがあります。人には向き不向きがあるため、できない子には「勉強以外で頑張りなさい」と言うしかない場合もあります。

 

オンライン家庭教師 受験戦争

受験戦争を勝ち抜いた人物と言えば、ライブドアの事件で逮捕、起訴された堀江貴文前社長は東大文学部中退でしたし、あの事件にからんだ「メール問題」で、追及する側から一転して議員辞職に追い込まれた民主党の永田寿康元代議士もやはり東大出身でした。

ホリエモンに関しては、あれだけ学問を積める環境にいながら、きちんと勉強してこなかったのはもったいなかったなという気がします。

せっかく東大で文学部に籍を置いたのだから、もっと学ぶ機会を大切にすればよかったのにと思います。彼は、頭はよかったのだろうし、知識を吸収する力はかなりのものだったのでしょう。しかし、教養が足りなかったことが、その言動から見えてしまう。その点が彼の挫折と関係があるように思えてなりません。文学、哲学、歴史などと言うと、何の役にも立たない知識の代表みたいに受け取られがちですが、これらを学ぶことによって発見できる何かはきっとあったはずです。

本物の教養は、知識ではなく、知識を身につけるための悪戦苦闘の中から得られます。そして、努力して身につけた教養は、その人間が困難な状況に陥ったときに、解決策を与えてくれます。そこをショートカットしたのがホリエモンだったのではないかと、残念でなりません。

永田氏については、議員辞職までする必要はなかったと認識しています。しかし、彼も理系出身にしては見通しが甘かった。科学がほかの学問と違うところは、検証可能かどうかということです。理系の勉強をしてきたはずの彼が、メールの真偽を検証できなかったのは不思議だし、やはりもったいなかった。二人とも、困難を克服してよりよく成長してもらいたいですね。

 

オンライン家庭教師 受験勉強

鈴木さん自身は学生時代、どのようにして勉強する意味を考えていたのですか。

ぼくは、高校を卒業するまで意識的に勉強したことはありません。高校時代は文学よりもハードロックに夢中で、両親も「勉強しろ」とは言いませんでした。自分でも勉強する意味は何かなんて考えたことはありませんでした。

学校は県で有数の進学校だったので、友達のほとんどは大学に行くための勉強に熱心でした。そんな中でバンドを組み、卒業したらプロデビューするんだと本気で思っていました。期末試験では追試がしょっちゅうで、模擬試験を受けても偏差値四〇という、友達とは比較にならないぐらいの低い数字をもらっていました。
この時代にオンライン家庭教師があればまた別の結果になっていたかもしれません。

小説家を志すようになったのは一八歳の時でした。高校を卒業した後、一年間、電報配達のアルバイトをしていたのですが、配達の件数があまり多くなかったので、とにかく待ち時間がたくさんあったのです。そこで退屈しのぎに太宰治を読むうちに、彼のデカダンで自由な生き方に憧れました。他の文学作品を読んでいくうちに、すっかり小説にとりつかれ、「作家になる」と決めてしまったのです。

まあ、今になって思えば、「素敵な女性たちにモテモテだった太宰のようになりい」というスケベ心が大きく作用したのだろうと分析できます。
それで翌年、東京に出てきて受験勉強を始めました。好きな作家の略歴を見ると、ほとんどの人は大学の文学部出身と出ているので、作家になるためには、文学部に入らなければならないのだと勝手に思い込んでしまったのです。

その思い込みが正しかったかどうかはともかく、目標がはっきりしていたから受験勉強は楽しかった。東京の高田馬場に下宿して、古本屋で安い文庫本を買いあさって手当たり次第に読みました。文学も評論もとにかくなんでも。浪人生活のほとんどは読書三味でした。

確信をもって言えるのですが、本を読むことが飯を食うことと同じようになると、勉強の成績は上がっていきます。国語力が高まれば、英語力も高まるし、外国の文学を理解したいと思えば、そこから世界史の勉強にもつながっていく。それと、学生時代を通じてずっと日記をつけました。表現力は日記によって培われたと思っていますし、読んで書く、書いて読むという繰り返しが受験勉強では一番ためになりました。

 

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