受験勉強はどのような学習の仕方が有効なのでしょうか。
オンライン家庭教師の生徒さんもこのような質問を投げかけてくるとてもやる気のある方が多いです。
高校生の頃、ぼくは数学の授業中、自分が何を勉強しているのかがさっばりわかっていませんでした。
問題が解けでなく、三角関数や微分・積分が意味するもの、数学的な概念がまったくつかめていなかったのです。
大学に入ってから、数学に関する書物を読むようになり、なんだ、高校で勉強した数学にはこういう意味があったのかと、ようやくわかりました。
こんな経験から、数学には言語によるイメージ化が欠かせないと考えるようになりました。
数学の先生には数式を操るだけでなく、生徒に言葉で語りかけてもらいたいものです。
微分にはどんな意味があるのか、sin、cos、tanはどのようなことを意味しているのかなどを日常生活の具体例を挙げて説明してほしいと思います。
特別に数学の能力の高い子どもは、授業で、または教科書の問題を解いているだけで、数学の意味するものを自ら発見し、数学的世界へとわけ入っていくことができます。
しかし、普通の子の場合、ただ先生の話を聴き、解法を教わっているだけだと、数学的概念へのイメージが膨らみません。
数式だけが並んだ訳のわからない世界に迷い込んだまま、興味をもてと言われてもなかなかそうはいきません。
具体的なイメージがつかめなくては、理解に限界があるからです。
同じことは理科についても言えます。
物理にしろ、天体の動きを学ぶ地学にしろ、子どもにとって何より大切なのは、教師が言語によってイメージを与えてやることです。
頭のなかでイメージがわけば、理解が一気に進み、たいがいの問題はクリアできます。
反対にイメージがまとまらないと、いつまでたっても問題は解けません。
具体的なイメージを持って受験勉強
社会科については歴史を取り上げてみましょう。
日本史でも世界史でも年表を暗記させられます。
暗記には「ナクヨ(七九四年)ウグイス・平安京」みたいな語呂合わせがあって、子どもたちはこれを頑張って覚えようとします。
でも、年表を暗記するのは何のためでしょうか。
歴史上の出来事が西暦何年に起きたのかを丸覚えすることに果たして意味はあるのでしょうか。
クラスで暗記自慢大会を催すか、それともテレビのクイズ番組にでも出場しない限り、年表の丸暗記は役に立ちません。
コロンブスのアメリカ大陸発見が一四九二年、ナポレオンが皇帝になったのは一八〇四年、そんな断片だけを覚えても歴史を学んだことにはならないのです。
年表は暗記力を試すために覚えさせられているのではありません。
歴史について論述するためです。
武家政治の始まりには、どのような歴史的意味があったのか。
新大陸発見はヨーロッパにどのようなインパクトをもたらしたか。
フランス革命の流れは、ナポレオンの登場によってどのように変容したか。
これらを論述するために、まず年を正確に覚える必要があります。
ある事件がきっかけとなり、人々のさまざまな思惑や陰謀が渦巻きながら、別の事件に発展していく流れを正しく把握し、理解するために年表は暗記せざるをえないのです。
年表の暗記は歴史だけの専売特許ではありません。
たとえば、科学を理解しようと思っても、絶対に年表を覚えないといけなくなります。
アインシュタインは一九〇五年に特殊相対性理論を発表し、一九一五年に一般相対性理論を完成させました。
これが逆だったら大変なことです。特殊から一般に至るまでにアインシュタインは一〇年を費やしました。
その年月の重みがわからないと、相対論を理解したことにはなりません。