尊敬できる家庭教師・学校の先生との出会い

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家庭教師・学校の先生との出逢い
私は今、オンライン家庭教師の講師として活動しておりますが、小学校五・六年生のときの担任の先生が思い出に残っています。

その先生の専門は国語で、子どもたちに文章を書かせることに熱心でした。

「日記を毎日書きなさい」と言われ、枚数も四〇〇字詰め原稿用紙三枚と決まっていました。

子どもにとってはかなりの長さだから、とても毎日は書けません。

実際、毎日実行できるような子はクラスにいませんでした。

 卒業を半年後に控えた頃だったでしょうか。

ぼくは同じクラスの親友で、後に国会議員になった鈴木康友君と約束しました。

何がきっかけだったのか忘れてしまったのですが、「どちらが毎日、日記を書き続けられるか勝負しよう」という話になりました。

 男同士の約束だから破るわけにはいきません。

途中であきらめるのは悔しいから、やめたくてもやめられない。

と言っても、小学生の日常なんて毎日が同じようなことしか起きないものです。

すぐに書くことがなくなって、これは自分で自分の首をしめたなあと、後悔しました。

 苦しんだ挙げ句、原稿用紙のマス目を埋めるために書き始めたのが、初めての小説でした。

海が好きだったから、子どもたちが巨大ないかだを作って、太平洋を横断するという物語を書きました。

先生からの評価

学校の先生
 最初の三枚を書き、ペンネームを添えて、先生に提出しました。

そうしたら、先生がホームルームの時間に言ったのです。

「日記の代わりに小説を書いて出した子がいる。ちょっと読んでみよう」

 先生は、ぼくの名前を伏せたままペンネームだけ紹介して、作品を朗読してくれました。

そして「なかなかよく書けている。この人は作家の才能があるかもしれないね」と講評してくれました。

 思わぬ評価に気をよくしたぼくは、日記より小説の方が書きやすいこともあって、翌日、続きの三枚を書いて出しました。

先生はまたホームルームで朗読してくれました。

ぼくはすっかりうれしくなってしまい、まるで新聞小説を書くような気分で、毎日書き続けました。

先生は必ず読んでくれました。

やがて、ほかの子どもたちも次々にその気になり、クラス中が小説を書き始めました。

 ぼくの小説はストーリーの収拾がつかなくなり、未完のまま四五枚でストップしました。

今思えば、あの時の物語は作家としてのデビュー作『楽園』の原型になっています。

『楽園』は、ユーラシア大陸で別れ別れになった男女が一万年の時をかけて太平洋を渡り、新大陸で再会を果たす物語です。

書きかけのまま、難破してしまった少年の日の小説を、ぼくは大人になってから完成させることができました。

今ではオンライン家庭教師の講師として働いていますが、

家庭教師の先生という職業を選んでいなければ、もしかしたら小説家としての人生を歩んでいたかもしれません。

日記を書く習慣を指導してくれた

 先生との間には後日談があります。

先生は教師を退職した後、故郷の浜松で文芸館に勤めました

。『リング』シリーズが売れた後、その文芸館で「鈴木光司展」を催してくれることになり、ぼくは講演を依頼されたのです。

 恩師を前に、ぼくは、自分で書いた最初の小説をほめてくれたのは先生だったと話しました。

 ところが、先生は「私の教育方針は、絵の下手な子がいれば上手いとほめることだった」と言うのです。

館内は大爆笑。おまけに先生は、ぼくが小説を書いたことすら覚えていなかったようでした。

 いずれにせよ、ぼくが作家になれたのは、あの先生との出会いがあったおかげだったかもしれないと思っています。

先生が書くことの大切さと楽しさを教えてくれ、書いたものをほめてくれた。

その喜びはしっかりと心の中に刻まれていたにちがいありません。

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