【家庭教師コラム】日本人の道徳体系を海外に紹介するために『武士道』を書いた?

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新渡戸稲造は、日本人の道徳を海外に示すために『武士道』を書いたのではなかったでしょうか。

あ、カンの良い人は薄々感づいているかもしれませんが、、、今回もオンライン家庭教師の売り込みは一切しません!笑

単なる暇つぶしコラムとして読んでみてくださいね。

 新渡戸稲造が英文で著した『武士道』が出版されたのは一八九九年、日清戦争が終わって間もない頃でした。明治維新からわずか三〇年しかたっていないにかかわらず、この本の中で、新渡戸は武士道の将来に対する複雑な思いを吐露しています。
「武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない、しかしその力は地上より滅びないであろう。その武勇および文徳の教訓は体系として毀れるかも知れない。しかし、その光明その栄光は、これらの廃址を越えて長く活くるであろう」(岩波文庫版、矢内原忠雄訳)
「滅びない」「長く活くる」と新渡戸が言いたかった気持ちはわかりますが、「消ゆる」「毀れる」と武士道の将来を危惧するような言葉が続きます。近代の扉が開かれて三〇年で、武士道の「掟」「体系」は早くも失われつつあると言うのです。
 では、武士道はいつの時代になら、「あった」と言えるのでしょうか。江戸時代に武士道はあったのでしょうか。
『武士道』の第一五章「武士道の感化」で、新渡戸は「武士階級を照らしたる倫理体系は時をふるにしたがい大衆の間からも追随者を惹きつけた」と述べています。芝居、寄席、講釈、浄瑠璃、戯作がその主題を武士の物語からとり、それらが語り継がれることによって農民や町人らすべての階級に武士道精神が浸透したと言うわけです。これはおそらく江戸時代のことを指しています。

オンライン家庭教師もないのに日本人は頭が良かった!?

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 江戸時代の日本人の識字率が高かったのは事実ですし、新渡戸の言うように武士をモデルにした物語はたくさんあります。主君の仇を討った赤穂四十七士は武士の鑑として「忠臣蔵」に描かれ、江戸や上方など都市部の町人たちの間で喝采を浴びました。今でも日本人の間では人気のある物語です。
 だが、赤穂浪士の討ち入りは、めったにないほどの大事件だったからこそ、あのような美しい物語として語り継がれたのではなかったのでしょうか。言い換えれば、新渡戸が危惧するずっと前から、理想としての武士道は常に失われ続けていた。あるいは現実にはなかったものを、人々はなんとか「失われた」という感覚でとらえようとした。
 実際には武士道は武士階級にすらほとんど定着しておらず、まして日本人一般の道徳体系として機能してなどいなかった。ただ憧れとしてのみ人々の心の中にあったとぼくは思うのです。
 たとえば聖書の中には、「次、左の頬を打たれたら右の頼を出せ」という記述がりますが、だからと言って当時のキリスト者が皆これを実践していたことにはならないでしょう。日指すべき理想として掲げられていたというだけです。
 ついでながら言えば、『武士道』の中には切腹に関する記述があります。新渡戸は、切腹は単なる自殺の方法ではなく、「それが法律上の刑罰として命ぜられるときには、荘重なる儀式をもって執り行われた」と書いていますが、実例の描写にあたっては外国人による目撃談を引用しています。幕末の日本に外交官として赴任した英国人ミットフォードによる『旧日本の物語』からの引用です。
 ミットフォードは、切腹の作法をつぶさに見て記録を残しました。その筆致はリアリズムに徹しており、日本人が芝居や物語を通して知る切腹シーンより、よほど客観的となっています。切腹ひとつとっても、日本人がいかに客観性を失っているかが、あのくだりを読むとすごくよくわかります。

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